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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)7259号 判決 1969年12月22日

原告 福竹種章

被告 国

代理人 森脇郁美 外三名

主文

1  被告は原告に対し別紙目録記載の各文書を引渡せ。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の負担とし、その一を原告の負担とする。

事  実<省略>

理由

一、本件古文書類が原告の所有であることは、原告本人尋問(第一、二回)の結果によつて認めることができ、右認定に反する証拠はない。

二、原告は、被告に対し本件古文書類を海軍水路部の教育資料に使用させるために期間を定めず無償で貸与した、と主張するので検討する。

1  まず、原告本人尋問(第一回)の結果により真正に成立したと認める甲第一号証ならびに原告本人尋問(第一、二回)の結果によると、原告は、昭和一七年六月一日、当時海軍水路部の部員で海軍少佐の地位にあつた佐藤祐生との間で、原告主張の使用貸借契約を締結し本件古文書類を同人に引渡したことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

2  しかして、原告は、当時佐藤には海軍水路部のために右の使用貸借契約を締結する権限が当然にあつたか、もしくはそのような権限のある水路部総務部長等から右契約をする代理権限を明示もしくは黙示に与えられていた、と主張するが、これを認めるに足る証拠はない。

かえつて、証人有賀武夫の証言により真正に成立したと認める乙第三号証、証人有賀武夫、同豊田貞信および同牛尾義隆の各証言によると、外部の者から本件古文書類のような物品を海軍水路部のために使用したりする権限は、海軍水路部部長、もしくは同部総務部長の職責に専属し、これらの者の決裁を要し、その際の外部からの文書の授受、保管、物品の受入れ手続は、総務部庶務課を経る建前となつており、また海軍水路部の教育資料に使用される参考品の取扱いについては、参考品整備委員会なるものが部内に置かれ、参考品の授受、保管、追加等をする職務権限は、その委員を構成する総務部部長および各課の庶務部員が有するとされていたところ、当時佐藤は、部内の企画一般ならびにそれに附随した予算の編成等の事務を担当する総務部企画課の部員にすぎなかつたことが認められるから、佐藤には海軍水路部のため部外の第三者たる原告との間で使用貸借する権限はなかつたことが明らかであるし、また、右の各証言によれば、当時庶務部員たる海軍中佐牛尾義隆が現に在職しており、総務部長たる有賀武夫も水路部の第一部長、修技所長を兼務し、かつ同年七月一五日からの南方への出張を予定し多忙であつたとはいえ、自己の職責を決裁できないような状態ではなかつたことが認められるので、右の者らが佐藤に対しその権限を代理させねばならないような緊急の事態があつたとは解しえない。

更にまた、佐藤が海軍水路部のために対外的な法律行為をする何らかの代理権限があつたことを認めるに足る証拠もないから、いずれにしろ佐藤のなした本件の使用貸借につき、原告主張のような表見代理関係が成立する余地はない。

従つて、海軍水路部との間に本件古文書類の使用貸借が成立したことを前提とする原告の主張は排斥せざるをえない。

三、ところで、原告が佐藤に対し本件古文書類を引渡した経緯やその後の事情等は左のとおりである。

すなわち、前掲甲第一号証、証人有賀武夫の証言により真正に成立したと認められる同第九号証、証人佐藤アキ、同豊田貞信および同牛尾義隆の各証言、ならびに原告本人尋問(第一、二回)の結果を綜合すると次の事実が認められる。

1  原告は、昭和一六年一二月、当時勤務していた中華民国山東省山沢県棗荘所在の中興炭鉱から病気療養のため帰郷したが、たまたま同一七年四月頃福岡市において秋に開催される予定の博覧会に本件古文書類の出品を依頼されたところ、同文書類のうちには長崎近辺の要塞地帯等が記入されていたので戦時中のこと故出品を内心ためらい、一度海軍当局の意向を確かめる必要を感じて上京し、同年六月一日海軍水路部に赴き、同所で来意を告げて一室に通され、そこで軍服姿の佐藤と背広を着た技手の者と面談し本件古文書類を呈示してその査定を求め、佐藤より出品は差しつかえがない旨の確認を得て帰りかけた時、佐藤に呼び止められ本件古文書類を海軍水路部の教育資料に貸して欲しいとの申し込みを受けた。そこで原告としては、戦時中で国民がこぞつて国家に協力しなければならない時勢であつたため、否応なく博覧会後なら貸与してもよい旨答え、かつ原告自身が休暇期間も過ぎて前記炭鉱の勤務につくため近く中国に赴かねばならない事情を説明したところ、佐藤は原告が中国に行つた後では交渉が難しいとの理由で、博覧会の方には海軍が原告から委託されたことにして必ず出品するから、今直ちに貸与してもらいたいと申し向け、それならば原告としてもことわる理由もなくその申し込みに応じた。

2  そして、一〇分間程原告を残し室を出た佐藤は、海軍の使用していた用箋に原告宛に本件古文書類のうち、別紙(1)および(5)を除くその余の文書類を借用した旨を水路部部員海軍少佐佐藤祐生なる名義でタイプ印刷した借用証(甲第一号証)を作成し持参して来たが、右の(1)および(5)の文書類が借用証記載の借用物から漏れ落ちているのを発見し、更にこれをペン書きで借用証中に書き加えさせたけれども、重要な借用証であるから全部タイプして欲しいとの原告の要望に対し、今日は時間がなくタイプができないから明日まで待つて欲しいと伝えた。しかし原告としては中国に渡る日も近く、そのうえ借用証の出来るのを待つて一晩東京にとどまるのも無駄であると考え、借用証は原告の妹宅に送つてもらうことにし、佐藤の名刺の裏に仮の借用証を書いてもらつて直ちに帰路についた

その後前記炭鉱に復帰した原告は、間もなく軍の特別な任務で中国の奥地に出張し約六か月後に再び右炭鉱に帰つたところ、妹から原告宛に書留郵便が届いており、その中に海軍の封筒(甲第九号証)に入つた借用証があつたが、それは前記の借用証と同一のものであつたので原告は疑問を感じたが多忙を極めたため何ら打つ手もなくそのまま終戦を迎えた。

3  ところで原告は、前示のように海軍の公舎において現役の海軍少佐から本件古文書類の借用を申し込まれ、しかも借用証が海軍の名が明記されている用箋を用いて作成され、かつその名義人として海軍水路部員、海軍少佐の肩書が付されていたこと等から、当然本件古文書類を海軍水路部で借用するものと信じ佐藤にこれを引渡したものであつた。

佐藤は、凡張面で誠実な人柄であり、どちらかといえば物静かで研究肌の人であつたが、特に本件古文書類のような古典的文書とか骨董品の蒐集に個人的な趣味があつたわけではなく、また人を欺くような行為のできる性格ではなかつた。

以上のような事実が認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、原告が本件古文書類を海軍水路部のために使用させる目的で佐藤に引渡したことは明らかであるし、佐藤としても右のような人柄、性格からみて自己個人のために海軍の名をかりて本件古文書類の引渡を受けたとは必ずしも断言できず、確かに証人豊田貞信、同牛尾義隆および同川上喜代四の各証言によれば、当時戦時中の折から海軍水路部としては直ちに実戦に役立つ教育を主とし、従つて、本件古文書類のような右趣旨にそわない資料は教育上必要に乏しかつたことが認められるものの、他方右豊田貞信の証言によつて真正に成立したと認める乙第一号の一・二および同第二号証、前掲乙第三号証ならびに右の各証言によると、海軍水路部が本件古文書類に類した古文書等を多数教育の参考資料として所持保管していたことも事実であるから、実戦に直ちに役立たないと思われる本件古文書類であつても必ずしも海軍にとつて不要であつたとも解しえない点も併せ考えるならば、佐藤は、やはり海軍水路部の教育資料にする目的で本件古文書類の引渡を受けたものと窺知するに難くないといえる。

そうだとすれば、前認定の事実関係のもとでは社会通念上本件古文書類に対する事実上の支配は、原告がそれを佐藤に引渡したことにより海軍水路部に帰属するに至つたと考えるべきである。

そして、海軍水路部がこのようにかつて本件古文書類の占有を取得したと解される場合、被告においてこれを現に占有していないとみられる合理的な反証がない以上、被告の右の占有は現在も継続しているものと推定するのが相当であり、本件においてはそのような反証も見当らないので、被告は現に本件古文書類を占有しているといえる。

もつとも、証人有賀武夫、同豊田貞信、同牛尾義隆および同川上喜代四の各証言中には、当時本件古文書類を見たことがない旨の各供述があるが、これらは、原告本人尋問(第一・二回)の結果に照し直ちに採用できず、かつ被告の占有取得を否定するには足らないといえる。また、前掲乙第一号証の一・二、同第二号証の記載によれば、昭和一九年一一月二四日頃海軍水路部が空襲による滅失から守るべく大倉精神文化研究所へ移管した参考品(約一二一種類)のうちには、本件古文書類が含まれていないことが認められるけれども、これら参考品は当時海軍水路部の参考品室に保管されていたものにすぎず、そもそも海軍水路部にあつては参考品室の外に各課においても関係する参考品をそれぞれ保管していたし、参考品等の疎開も右の大倉精神文化研究所一か所に限らず、少くとも五か所以上の場所に移管した事実が前掲乙第三号証ならびに証人川上喜代四の証言によつて明らかであるから、前掲の乙第一号証の一・二および同第二号証の記載によつて、当時海軍水路部が本件古文書類を占有保管していなかつたと認定することはできないし、更に、成立に争いない甲第二号証および同第三号証の一ならびに証人川上喜代四の証言によると、海上保安庁水路部が原告からの本件古文書類の返還請求に基づき遅ればせながらも(すなわち、原告本人尋問(第一・二回)の結果ならびに成立に争いない甲第一〇、第一一号証によれば、原告は昭和二四年を最初としてその後同二九年、同三二年、同三五年および同三八年にそれぞれ返還の請求をしている)、昭和三九年になつてから正式にその真偽ならびに所在の有無を確かめるべく、海上保安庁水路部図誌課等同庁内の本件古文書類の保管してありそうな場所を調査する一方、昭和一七年頃の海軍水路部に関係した人々に借用の有無、その所在等を問い糺したが、結局不明である旨の通知を原告に対しなした事実が認められるが、この程度の調査ではいまだ国としては完全もしくは合理的な調査をまつとうしたとは解しえない。

従つて、原告の所有権に基づく本件古文書類の返還請求は理由があるというべく、被告はこれを返還しなければならない。

四、次に、原告の本件古文書類に対する執行不能な場合の代償請求を考えるに、如上の説示から明らかなとおり、原告の本訴請求は、本件古文書類の所有権に基づく返還請求としてのみ認容できるものであり、かつ本件古文書類は、原告本人尋問(第一回)の結果によつて真正に成立したと認める甲第四ないし第七号証、同第八号証の一ないし四および同第一三号証ならびに原告本人尋問(第一・二回)の結果、更には弁論の全趣旨を綜合すると、黒田藩船手頭を勤めていた原告の祖先に当る福竹種徳が別紙目録(2)および(4)の各文書ならびに同(10)の分図(九州沿岸、瀬戸内海航路の海図)を文化七年に、同(3)の文書を文化九年、同(5)の文書を寛政二年、またその余の文書および地図もその頃に、主として福竹家の子孫に残し伝える目的で、特に右海図に関しては自己の経験と先祖代々伝承した海図等によつて苦心の末各作成したもの(同(2)は、海図作成に至る動機もしくは経緯ならびに海図の内容、凡例を記した文書、同(3)は、海図作成の動機もしくは経緯を記した文書、同(4)は、海図作成に当り磁石針を用いたことや航海術を記した文書、同(5)は、同じく航海術と福竹家の種徳に至るまでの家系を記した文書、同(10)は、三角測量法による海図で右(2)の凡例に従つた図形および色彩をほどこした海図)であることが認められるから、非代替物であることが明らかであり、このように所有権に基づく物権的請求で、しかもその目的物が全く代替性がなく、金銭をもつて代えることの少いものである場合には、将来の執行不能の一事によつて直ちに本来の物権的請求権が金銭による填補賠償請求権に代るものと解するのは相当でなく、たやすくこれを認めることはなお本来物権的追求が可能であり債務者も又その義務のみを負担するにかかわらず、口頭弁論終結当時いまだ明らかとはいえない執行時の不法行為を想定して損害賠償請求に代えしめることになり許されないと考えるので、原告の右請求は理由がないといわざるをえない。

五、以上のとおりであるから、原告の所有権に基づく本件古文書類の返還請求は理由があるから認容すべきであるが、代償請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文を適用し、主文のとおり判決する。

なお、仮執行の宣言は、相当でないので付さないこととする。

(裁判官 岡田辰雄 渡辺卓哉 大沢巌)

別紙

目  録

目次           数量    時価    請求額

(一) 磁方撰図針鋒記          一冊    一千万円 二百万円

(二) 関西海図磁方撰図序巻全      右同    五百万円  百万円

(三) 関西海路針法図序巻完       右同    五百万円  百万円

(四) 関西海路磁方撰図針鋒記序巻全   右同    五百万円  百万円

(五) 関西磁方記序巻          右同    五百万円  百万円

(六) 天地図説完            右同    五百万円  百万円

(七) 天球之図             右同    五百万円  百万円

(八) 地球之図             右同    五百万円  百万円

(九) 日本之図             右同    五百万円  百万円

(一〇)分図             六十六枚  六千六百万円 二千万円

合計                  一億千六百万円 三千万円

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